2013/08/23

モロッコ式結婚式 / Moroccan-style wedding ceremonies

ラマダンが終わった8月の今、モロッコでは結婚式ラッシュが続いています。
モロッコでは、ラマダンの前と後に結婚式が集中するそうですが、グルミマではラマダン後の方が結婚式がたくさん行われている気がします。

・・・なぜそう分かるかって・・・?

モロッコでは、結婚式の時に新郎新婦が乗った車や招待された親族や客が乗った車のご一行が、クラクションを「プップップ〜!」とならし、車のライトをチカチカさせながらながら結婚式が行われる家に向かって走って行くので、すぐに分かります。先週末は特に多かったようで、一晩中違う家の結婚式の車のご一行が町中をクラクションをならして走ってました(笑)。今もこのブログを書きながら、数件のご一行が通過していきました。めでたいですね。

結婚式は3日間に渡って開かれ、大きい式では数百人の招待客が来ることもあるそうです。式は新郎・新婦の実家で開かれることが多いようで、田舎の方で庭が大きいようなところでは自分の家の庭や家の前(!)に大きなテントを張って、そこで式が開かれるケースが多いようです(都会で家に庭がなかったりする場合は、結婚式場などで行われたりするようですが)。

実際、テントはこんな感じ。このテント、一日レンタルするだけでもモロッコ人価格にしては結構かかります!(正解な値段は忘れました・・・。)
白いテントが結婚式用のテント。

家で式が行われる場合は、なにしろ親族が総出で料理を準備するために、新郎新婦家族は大忙し!!挨拶をしている暇もろくにない感じです。

モロッコの3日間に渡った結婚式のスケジュールはこんな感じなようです(家族によっては多少異なるようだし、私も全日程参加したことはないので、人から聞いた話です。あくまでも参考までに)。
【1日目】新婦が身内の女性たちとヘンナをやる
【2日目】親族や友人を招待して食事会
【3日目】親族や友人を招待して披露宴&夜通し音楽かけて踊る!


先週末は、私も3つの異なる家の結婚式に招待され、3日間連日結婚式に行ってきました!

1件目に行ったのは、グルミマの郊外にあるマガマンという集落。過去に先輩隊員が活動していた村で、そのつながりで招待してもらいました。「ファティマの結婚式があるからいらっしゃい」と言われたので「何時頃に行ったらいいの?」と聞いたら、何時でも良いという返事・・・。よくわからないのでとりあえずお昼頃に行ってみました。

したら、式が行われる家の一階には招待された女性たちがたくさん座ってて、みんなおしゃべりしてる感じ。食事のいい匂いはするけど、まだ準備できてない様子・・・。とりあえず招待してくれた女性に挨拶して、それから"ファティマ"に挨拶をしようと思って彼女を探したら、なんと裏庭で料理をしている・・・。「え?!結婚する本人が料理も準備するの!?」みたいな感じで驚いたけど、モロッコの文化ではそうなのかな〜とか勝手に思い、とりあえず持って来たプレゼントは今は忙しそうだから、料理が終わってから渡そうと思って、「おめでとう」だけ言って、居間の方で食事が出るのを待ってました。

しかし、いつまで経っても食事が出てこない・・・。周りにいる女性たちの様子を見ていても、色んな人が出たり入ったりしていて、ただお茶を飲んで帰ってしまう人もいるし、もうよくわかんない状態・・・。周りはみんなベルベル語でしゃべっるから何を言っているかも分からないし・・・。

とりあえずおとなしく食事を待って、約3時間・・・。やっと食事が出て来た!
食事は通常、野菜のサラダ → チキンのタジン → 牛肉のタジン → フルーツ 
という順序と内容で、女性と男性別々の場所で食べるのが普通です。
ちなみに、ここでの結婚式の食事の時は、あまり広くないリビングに合計60人くらいの女性たちがぎゅうぎゅうになって座っていました!私も恰幅のいいおばちゃんたちに囲まれながら、食事をもぐもぐ・・・。

食事中に、庭に新郎新婦が後で座るためのギンギラギンの椅子のセットが用意されてたけど、さすがに夜まで居るのは辛いから、"ファティマ"にプレゼントを渡して帰ろうと思い、「新婦のファティマはどこにいるの?」と聞いたら、なんと私が連れられて行ったファティマは、私の考えていたファティマと違う人だった!!まあ、ファティマって人多いから、どのファティマか確認しなかった私も悪いんだけど・・・。せっかく買ったプレゼントなので、新婦のファティマに渡してこの日は帰宅しました(笑)。


そして次の日に行ったのは、日頃から私もお世話になっているモロッコ人家庭の親戚の結婚式。この日はピースコー(米国版の協力隊)ボランティア数人と一緒に行きました。

本当は食事会が昼間から行われていたそうだけど、食事の部分はパスして、夜の部から参加することにしました。夜8時過ぎ頃に行ったら、ちょうど招待客が家から近くの道へ出て来て、音楽を奏でたり歌を歌ったりして盛り上がっているところでした。

そして、来客からのプレゼント(ブランケットなど)を頭に乗せて運び、女性たちがお祝いの歌を甲高い声で歌って大盛り上がり!
よいしょ、こらしょ・・・とプレゼントを担ぐ

そしてご一行はまた結婚式会場である新婦の家に戻って行きました。

家の庭にはやはりテントが張られていて、その中では音楽がガンガンなって、子どもも男性も女性も踊る踊る!

23時頃になってやっと夕飯が出て来て、ご飯食べたらまたすぐにDJが音楽を流して、食後にも関わらずみんなガンガン踊ってました(笑)。

こういった場で踊る時、女性たちは腰を激しく振ってちょっとベリーダンスに似た動きもたくさんあるので、私も久しぶりに踊りました!多分東洋人をあまり見たことがないだろうし、東洋人が腰を振って踊るのを見るのなんてもっと珍しいからか、周りにいたモロッコ人は喜んでました(笑)。こういう時に、やっぱりベリーダンスやっててよかった!と思いますね。

下の写真の男の子は、ベリーダンスのドラムソロで使われるダラブッカという打楽器の即興演奏がとっても上手でビックリ!笑顔も素敵でした☆

あ、でも結局この日は新郎新婦の姿は見れませんでした(笑)。っていうか新郎新婦が誰なのかも知らなかった(笑)。モロッコの結婚式は、新郎新婦のことを直接しらなくっても、招待された客が友人を勝手に招待したりして参加できる日もあり、かなりゆる〜い感じです。


そしてその翌日は、私のアパートの上の階に住む隣人の若いカップルの結婚式がエルラシディア(グルミマから約1時間の大きな町)で開かれるとのことだったので、夜から参加してきました。新婦さんのノラは、実はエルラシディアに住む協力隊員の仲良しのお友達であるということもあって、エルラシディアで活動する隊員数名も参加していました。

この日は結婚式最終日で、ノラが5枚のタキシータと呼ばれるモロッコ風のゴージャスなドレスを披露して、夜通しDJが音楽流してみんなが踊る、という一番盛り上がる日だと聞いていたので、私もわざわざレンタルでタキシータを借りて参加してきました!
協力隊仲間とお揃いのタキシータを着て参加☆

私は活動を終えてから遅れて参加したので見れなかったのですが、ノラはベルベルの血が通っているために、最初はベルベル風の衣装とメークでゲストたちの前に現れたそうです。

そして新郎新婦がお色直しをしている間に私は到着。着いたらグナワというモロッコの伝統音楽のミュージシャンたちが演奏を披露してました。

そして、ベルベル人女性が身にまとうタハルートで上半身を隠した女性たちがグナワパフォーマンスの男性たちと合わせて踊る(というかステップを小さく刻むといった方が近い)という、この地域ならではのパフォーマンスも見ることができました。

で、その後は深夜近い時間にやっと夕食が出て来て、そしてお待ちかねの新郎新婦の登場!残念ながら、新郎新婦のゴージャスな姿は、写真UPの許可が降りなかったのでここでは見せられませんが、本当に本当に綺麗でした!どのタキシータも似合っていて、お姫様みたいに美しかった〜♥

新郎新婦がお色直しをしている間は、ダンスタイム!ってことで、皆音楽に合わせてガンガンに踊ってました!子どもも「こんな時間に起きていいの・・・?」って日本では思ってしまうような時間ですが、そんなことは関係なくノリノリで踊ってました(笑)。
この子、12歳だって。笑顔とダンスが可愛かった〜☆

ノリノリの女性たち。やっぱり現地人は腰の動きが違う・・・!

私も最初の方は一緒になって踊ってましたが、もうすぐ30歳になるこの年、さすがにオールをするにはそろそろ辛い頃に・・・。4枚目のタキシータを見てからちょっと仮眠しようと思ってリビングで寝ていたら、5枚目のタキシータを見逃した・・・。

そして最後は西洋式の真っ白なウエディングドレスを披露!これもまた美しいのなんの!初めて会った時から新婦のノラは美人だと思ったけど、改めてこの日、本当に美人さんなんだな〜と再実感しました。こんな美人さんが一緒のアパートにこれから住むと思うとなんだか緊張します(笑)。そして旦那さんも優しそうな人で、本当に素敵なカップルだなと思いました。

新郎新婦が式会場から去って行く姿をゲストたちが見送って、そしてやっと早朝6時半頃に式は終了。もうこの頃には朝日が上ってました。

いや〜、モロッコ式結婚式は長いしかなり体力がいりますが、今回行かせてもらった結婚式は本当に素敵でした。

こんな感じでラマダン後の結婚式ラッシュは、今年は8月末頃までは続くそうです。

結婚式もその国の特徴や文化などを垣間みる良い機会。今回も良い経験をさせてもらいました。

2013/08/18

グルミマフェスティバル&エジプト隊員受入 / Goulmima Festival & Volunteers from Egypt

前回の記事の最後に書きましたが、8月14日〜17日までグルミマでフェスティバルが開催されることになりました!フェスティバル会場の横に、私の活動している団体がブースを出展することになったので、先週から急いで手工芸グループの女性たち5〜6人と一緒に大急ぎで商品の準備にあたりました。

このフェスティバルは、私が活動し始めてから商品開発に関わった商品を販売する絶好のチャンス!ということで、ラマダン明けの休みも返上で、女性たちと張り切って商品準備をしました。

フェスティバル前日、ブース用のテントがどんどん設営されている様子が見えて、ワクワク・・・。でも、設営が終わった後、突風と突然の雨に襲われ、せっかく設営したテントが無惨な姿になっていました・・・。

でも、翌日のフェスティバル初日にはちゃんとテントも復活していました!素晴らしい!

私もブースに商品を並べる作業に参加し、どうやったら商品がよく見えるかなど考えながら展示しました。そして出来上がったのが、ジャ〜ン!以下の写真のようになりました!




私たちの団体以外にも、グルミマにある団体や近郊にある団体など、約15の団体がブースを並べ、それぞれの商品を展示・販売していました。他の団体の商品を見て回るのも勉強になります。

昼間は暑いので来客はあまりいなかったのですが、夕方〜夜になると少し涼しくなるので人が徐々に集まってきました。

夜は音楽やダンスのパフォーマンスがあって、ブースの近くに設置された野外ステージの周りにはたくさんの人が集まっていました!なんと中にはマイケル・ジャクソンのダンスやロボットダンスを披露するパフォーマーもいてビックリ!まさかグルミマでマイケル・ジャクソンの踊りを見れるとは思ってもいなかった・・・!
マイケル・ジャクソンの音楽に合わせて踊りを披露するパフォーマー

初日は商品の売れがあまり良くなかったのですが、2日目からは結構色んな商品が売れて、ブースで販売を担当していた私の同僚も大喜び!その中には、私が開発した商品もいくつかあったので嬉しかったです!☆ ちなみに、うちのブースは他のブースよりも人気があったようで、夜の時間帯は常にたくさんの人で賑わってました!


ここで、このブログ上初!ここ1ヶ月半の間に女性たちと一緒に商品開発をし、作りあげてきた作品を一挙公開!これが全部ではなく、まだ開発中の商品もありますが、参考までにいくつかの商品を紹介します。

ベルベル人女性が身にまとうマント、「タハルート」。
本来ならこの2倍のサイズだけど、半分のサイズを作成。

この刺繍は全部手縫い。鮮やかな彩りが特徴的。
端には編んだタッセルとキラキラ付き。
タハルートのティーポットカバー(緑バージョン)。
モロッコではこのようなポットでお茶を飲みます。
タハルートのティーポットカバー(赤バージョン)。

タハルートのミニ巾着。色とりどりなタッセルと刺繍がベルベルっぽい。
実はこれ、フェスティバルの4日前くらいに私が試作品を作って
女性たちに見せたら気に入ってくれたので、
急いで5つだけ作成してもらった商品。そのうち4つ売れた!
フェズ刺繍のティーポットカバー。
こちらは、私が開発したというよりは、
上のタハルートのティーポットカバーを作っていた
私を見て、1人の女性が開発した作品。


他にもまだいくつか商品はありますが、これらの公開はまた次の機会にしておきます。

フェスティバル後には、どの商品がよく売れたのかを女性たちと分析し、売れた商品はもっと数と質を上げて商品を作り、今後の商品開発と販路拡大につなげたいと思います。


実は、このフェスティバルが開かれていた時と同じタイミングで、JICAモロッコ事務所で新人研修を受けている職員の方1人と、エジプト情勢が不安定なために在外研修をモロッコで受けていた協力隊員8人が、私の活動を視察しにグルミマにやってきました!(ついでに、配属先の教育省の担当者まで一緒に同行していたので、ちょっと緊張しましたが・・・。)

普段は日本人が1人しかいないグルミマですが、一気に計9人の日本人を受け入れることはこれまでに、そしてこれからもおそらく滅多にないかと思います(笑)。

視察団のご一行は、私の活動している、そしてこれから活動する予定の女性団体2つを見学し、団体の説明を受けたり、私が一緒に商品開発をしている手工芸グループの女性たちが作業に取り組む姿を見学したりしました。8人の職種は、村落開発普及員や青少年活動、服飾、手工芸、PCインストラクターなど、私の活動と少し似通っている部分もあったので、積極的に質問したり、熱心に女性団体を見学して下さいました!そして、フェスティバルではうちの団体の商品をいくつか買って下さって感謝!

途中、グルミマなどモロッコ南部にはたくさんあるクサル(要塞化された村)を見学したり、村の様子を見学したりして、ちょっとしょたグルミマ観光も楽しんでくれたようでした。
クサルの廃墟。
ここはもう誰も住んでいないけど、まだ数百人が住むクサルもある。


お昼には、私も日頃からお世話になっている田舎のモロッコ人家庭にて、美味しいクスクスをたくさん出して頂き、モロッコのおふくろの味(?)も楽しんで頂きました。


このエジプト隊員8人の中には、私と一緒に二本松訓練所で派遣前訓練を受けた同期隊員が1人いました。思いがけないところでの久しぶりの再会だったので、嬉しかったです。

でも、そもそもエジプト隊員たちがモロッコに来た理由はエジプトの情勢不安。現在エジプト隊員は活動を一旦中止しているそうで、最近はエジプト全土に非常事態宣言が出されたばかりなので、モロッコでの在外研修後は一旦エジプトに戻るそうですが、その後の活動はどうなるか分からないそうです・・・。早くエジプトの情勢が安定して、活動にも復活できることを祈ってます。


まあこのような感じで今週は忙しい日々が続きました。現在結婚式ラッシュで、週末は3つの結婚式に行く予定です。モロッコの結婚式については次回の記事で書こうと思います!

2013/08/12

ライード(ラマダン明けのお祝い)/ The celebration after Ramadan

少し報告が遅くなりましたが、モロッコでは8月8日に30日間のラマダンが終わりました!

本当は8月7日には終わると言われていたラマダンですが、最終的にラマダンがいつ終わるかは、前日の月の動きによって判断されるために直前まで分からないそうです(イスラム教は太陰暦を利用しています)。8月6日の夜、ニュースで「ラマダンは8月8日に終わります」ということが発表されました。8月7日に終わるのだと思っていたから、まだあと1日あるのか!!とちょっとガッカリしちゃいました。


モロッコ人の友人に聞いたところ、ラマダンの最後の10日間は、今までの20日よりもさらにお祈りをたくさんしたりする期間なようで、モロッコでは特に26日目だか27日目には一晩中モスクに出入りしてはお祈りをする人が多いようです。またこの日にはちょっとしたお祝いやらお祭りやらがあるようで、いつもよりも村や町が盛り上がった様子でした。


25日目の夜には、活動先の団体のルフトール(日没後の食事)に誘われて行ってきました。近くに住む子どもたちがたくさん集まっていました。女性たちは食事の準備に追われて大忙し!何か手伝いたいと思ってキッチンに行っても、慣れない私は足手まといになるだけだったので、大量に用意されたゆで卵の写真を撮るだけでキッチンから出てきました(笑)。

ルフトールには必ずといっていいほどゆで卵が出てくる

日没後は室内よりも屋外の方が涼しいので、ルフトールは団体の建物の外で食べました。周りにはグルミマのナツメヤシやオリーブの木がたくさんなったオアシスがあるので涼しくて気持ちいい〜☆

子どもだちも早くご飯食べたくっておおはしゃぎ!

その後、近くの集落にて子どもたち向けのイベントが開かれると聞いたので、顔を出してみました。古いクサル(要塞化した村のこと、グルミマを含むアトラス山脈以南にある砂漠地方にはよく見られる)の前で簡易ステージが組まれていて、子どもたちがコーランを読み上げるコンクールやら、劇やら、この1年間頑張った子どもたちへの表彰式(?)やらで盛り上がってました。

ライトアップされたクサルが神秘的な雰囲気。
ここ、まだ中に人が住んでます。

翌日、ラマダン26日目には別の集落にてやはり似たような子ども向けのイベントがあり、そこでは周辺の女性団体が手芸品を出展することになり、私の活動する団体の女性たちも大急ぎで未完成の作品を完成させたり、商品に値札を付けたりして、商品を出展。

写真の手前にあるのが私の活動する団体の商品。
奥のステージでは子どもたちがダンスやら劇やらを披露していた。

今回、私が商品開発に関わった商品を初めて販売する機会だったので、はりきってイベントに参加したのだけど、結局イベントに来ていた人はあまり購買意欲がなかったようで、売れたのは2品だけ。でも、そのうち1品は私が開発した商品だったから嬉しかったです!


しかし、この頃から何だか体がだるくなり、風邪の前兆のようなちょっとした寒気も感じるように・・・。この日の晩は疲れたのでイベントの途中で家に帰ったのだけど、案の定翌日は高熱を出し、体温を計ったらなんと39.9度!!!この日は1日中ベッドで寝てました。おそらくラマダン中の昼と夜が逆転した生活や、初めてやる断食などが応えたんだと思います・・・。無理はいけませんね・・・。


でも、翌日には37.4度くらいまで熱を下げることができ、活動も休みたくなかったので団体までピカラちゃん(私の自転車の愛称)に乗って行ったら、なんと誰もおらず、活動はお休みだった・・・。なんだ、それなら事前に言ってくれよ・・・ってかんじでしたが、団体前で誰かが来るのをオリーブの木の下で待っていたら、涼しい風が通って快適でした〜。



結局、ラマダンは8月8日で終わりました。その間は、高熱でぶっ倒れた時以外は毎日ルフトールをモロッコ人家庭にて頂きました。その数、多分20家庭くらい(同じ家庭に5回くらいお世話になったこともあったので)。優しく(時にはしつこいくらい、笑)食事に招待してくれるモロッコ人のホスピタリティーには本当に毎回感謝です。


そして、実行していた断食ですが、これは体調を崩す前までは毎日頑張ってやっていましたが、体調を崩してからはもう完全にやる気がうせ、日中でも飲食をしていました・・・。ということで、今年の私のラマダンは25日間で終了〜。もう辛いから来年はあまりやりたくないな・・・。



で、ラマダン明けのお祝いであるライードというのが、8月9日にありました。

この日は朝7時頃からみんな新しい服※を着てモスクへ行ってお祈りをしていました。8時頃には人がMAXで、モスク前の広場は人で埋め尽くされてました!
(※ライードのためにみんなラマダン終了前に新しい服を調達するようで、ラマダン後半は服を買い求める人で町は賑わってました。)

モスクでのお祈りが終わったら、人が一斉に四方八方へ散って行き、その際にみんなに「マブルーク・レイード!」(「ラマダン明けのお祝い、おめでとう!」みたいなかんじ?)と言い合って、挨拶を交わしてました。


この日はどうやらご近所さんやら親戚やらの家を訪ねて、お菓子を振る舞ったりするそうで、誰でも人が気軽に入れるように、玄関のドアは開けておくようです。


私もこの日、ご近所さんのアフメドじいさんに「朝食にいらっしゃい」と言われていたので行ってみたら、確かにドアが開けっ放しになってました。


ラマダン明けの初の朝食ってどんな感じなんだろ!とワクワクして行ってみたら、なんと朝食といっても全部がお菓子でした・・・!!

アフメドじいさんの家のラマダン明けの朝食。
う〜ん、甘いものばっかり〜・・・。

私はあまり甘党ではなく、どちらかというと酒のつまみになるような塩辛いものが好きなので、ケーキやらお菓子ばかりの朝食ははっきりいってあまり食べる気になりませんでしたが、これもまあモロッコ文化を味わう良い経験だと思って少しだけ頂きました。


この日は今まで毎日食べていたモロッコ料理にももうちょっと飽きてしまって、反動でパスタやら日本食っぽい食事を作って食べました。先輩隊員からもらった麦茶のティーバックを発見したので、それで最近は毎日冷たい麦茶を飲んでます。日本の夏休みみたい〜(笑)。


ライードの祝日のために3連休だ!と思っていたら、活動先から連絡が入り、「来週後半はグルミマの中心地で文化フェスティバルが開かれる。うちの団体もブースを出して商品を販売することになったから、週末も商品作りの作業をしよう」という電話が・・・。なんと、そんなフェスティバルがあったのか!!ということで、普段は活動がお休みな日曜日も出勤し、女性たちと一緒に大急ぎでフェスティバルにて販売できるような商品作りに励むことになりました。


でも、これは私が商品開発をした手工芸品を売ったり、どの商品が人気があるのか分析する絶好のチャンス!ということで、このフェスティバルへの出展に向けて、現在女性たちと毎日活動中です。


このフェスティバルについては後日報告します!

では、また!

2013/08/10

今日は何の日?(2)〜8月9日〜 /What day is it today? (2) - August 9

8月6日の「今日は何の日?」に続き、2回目の「今日は何の日?」シリーズ。
もちろん、日本の皆さんは知っていると思います、8月9日のことを。

今日8月9日は、68年前に長崎に原爆が投下された日。

8月6日は、活動先にて英語の授業があったから、生徒たちにヒロシマでの惨劇のことを簡単に教えることができたけれども、今日8月9日はモロッコではイスラム教の断食の月ラマダン明けのお祝いの日(注:イスラム暦によってこの日は毎年変わる)となり、活動はお休みでした。(このラマダン明けのお祝いについてはまた別途記事を書こうと思います。)

お祝いの日の今日、前から親しくしてもらいっているお向かいさんのアフメドじいさんのお家に行って、ラマダン明けの初の朝食を頂きました。その時に、ひょんなところからアフメドじいさんが、「日本は戦争をしたことがあるのかい?」と私に質問してきたので、「あるよ。日本は過去に米国などと戦争をしたことがあって、今日8月9日は、日本のナガサキという町に原爆が落とされた日なんだよ。」と説明しました。「原爆(仏語では"bombe atomique"」という言葉は聞いたことがあるようで、私のつたないフランス語でも理解してくれたようでした。

お祝いモードなモロッコで、68年前の今日、ナガサキに原爆が落とされたことをモロッコ人に伝えるのもなんだかちょっと気が引けます。さすがに今日は、原爆の話をしたのはアフメドだけでした。

原爆や核兵器の恐ろしさを海外の人たちに伝えることは大事だと思います。
でも、それと当時に、原爆を経験した日本の国民として、もっと日本人、特に若者も、核兵器の問題や原発の問題に関心を示してもいいのではないかと思います。というか示すべきだと思います。

別に、この問題の専門家になれと言っているのではないです。もう少し、自分たちの将来にも関わってくるんだということを認識し、真剣に議論するべきではないかと思います。

例えば、核兵器と原発は同じ原料から来る、ということはどれだけの日本の若者が知っているのでしょうか。

福島第一原子力発電所事故は未だに収束していない(政府は収束宣言をしましたが、未だに汚染水の問題や避難者の問題など、多くの課題は存在する)のにも関わらず、核兵器と同じ原料から成る原発を海外に輸出したり、日本の原発を再稼働したりしようとしている現在の自民党政権。

そんな自民党が圧勝した参議院選挙が最近ありましたが、こういった選挙にも、若者たちは、政治と自分たちの生活や将来との関係性を見いだせないと、投票に行くことはないのでしょう。


2013年8月9日に長崎市で開かれた平和記念式典で、長崎市長が発表した平和宣言があります。その一部には、こう述べられています。

 「核兵器のない世界の実現を、国のリーダーだけにまかせるのではなく、市民社会を構成する私たち一人ひとりにもできることがあります。 「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」という日本国憲法前文には、平和を希求するという日本国民の固い決意がこめられています。かつて戦争が多くの人の命を奪い、心と体を深く傷つけた事実を、戦争がもたらした数々のむごい光景を、決して忘れない、決して繰り返さない、という平和希求の原点を忘れないためには、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠です。

 若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声を。 
 
 あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。68年前、原子雲の下で何があったのか。なぜ被爆者は未来のために身を削りながら核兵器廃絶を訴え続けるのか。被爆者の声に耳を傾けてみてください。そして、あなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に核兵器が存在していいのか。考えてみてください。互いに話し合ってみてください。あなたたちこそが未来なのです。」 
全文は、http://www.city.nagasaki.lg.jp/peace/japanese/appeal/を参照)


まさにこの宣言に述べれていることが、私たち日本の若者ができることの1つなのではないかと思います。

まずは知ること、そして行動すること。
それが、より良い世界を作っていくのではないでしょうか。

2013/08/06

今日は何の日? 〜8月6日〜 / What day is it today? - August 6th

ラマダン開始に合わせて、始めた活動先での英語授業。
対象はだいたい高校生〜大学生。
毎回15人くらいの生徒がやってきます。

いつも英語の授業では、その日にちなんだ出来事や行事をどうやって簡単な英語で表現するのか教えます。

今日は、8月6日。
広島に原爆が投下された日です。


【今日の授業の一コマ】
Aicha (私): What date is it today?  (今日の日付は?)
生徒たち:August 6th. (8月6日です。)
Aicha: What happened on this day 68 years ago? (68年前のこの日には何が起こったの?)
生徒たち:............ (沈黙・・・)
Aicha: OK, I will give you a clue. What happened in Japan on this day? In a city called Hiroshima? (ヒントをあげる。日本ではこの日何が起こったの?「ヒロシマ」という町で?」

すると1人の生徒が "bomb"(爆弾)という単語を口にした。
思わず、「そう、"bomb"(爆弾)が落とされました。(Yes, a bomb was dropped.」と続け、68年前のこの日に、米国によって日本のヒロシマという町に原爆が投下されたということを簡単に英語で説明した。


モロッコの教育でも、ヒロシマとナガサキで原爆が投下されたということは教えられているようで、半分うろ覚えだった生徒たちも少しずつ昔歴史の授業で習った(と思われる)出来事を思い出していたようでした。生徒の中には、二発目の原爆はナガサキに投下されたことを覚えている子もいました。

英語の授業であったために、原爆投下に関する詳しい話はできませんでしたが、私がモロッコ滞在中にモロッコの歴史や文化を知ると同じように、モロッコの人たちにも少しでも日本の歴史や文化に触れる機会があれば、彼ら・彼女たちの視野もより広まるのではないかと思い、とっさに行った説明でした。

原爆によって多くの人が亡くなった、ということを説明し、もうこのような惨劇は繰り返してはいけないこと、そして戦争はいけない、ということをモロッコ人の生徒たちに説明し、平和のメッセージを訴えました。

説明しながら、前職のNGOピースボートの地球一周の船旅で一緒に世界を廻ったヒバクシャの方々の被爆証言を思い出しました。彼ら・彼女らの証言を聞いたり、世界各地で証言や平和のメッセージを通訳しながら、これまでに被爆したことによってどれだけ辛い思いをしてきたのかを思い出したら、何だか胸が熱くなりました。

(ちなみに、現在世界を旅している「ピースボート第80回地球一周の船旅」でも、ヒバクシャの方が乗船し、証言活動を世界各地で行い、平和のメッセージを訴えています。8月29日にはモロッコのカサブランカ港にも入港する予定です。)

本当はモロッコの人たちにももっと知ってもらいたい、日本が経験した原爆の恐ろしさ。そして戦争や核兵器の恐ろしさ。8月6日という今日、あまり多くの人には説明することができませんでしたが、あと残り20ヶ月の任期の間に、少しでも多くの人に知ってもらえたらいいなと思いました。