2014/03/29

世界遺産の街、メクネス / World-heritage city Meknes

聖地ムーレイ・イドリスへの訪問に続いて、お次に立ち寄ったのは、世界遺産の街メクネス。

今回は日程が限られていたので滞在したのは一日だけでしたが、メクネスで活動している隊員Kさんのお宅にお邪魔させて頂きました。ちょうど日曜日で、彼女の活動もお休みだったので、メクネスを案内してもらいました!

最初にKさんが知っている、美味しいアイスクリームが売っているカフェにて、久々に大きなパフェのようなアイスを食べ(大きな街じゃないとできない贅沢!)、その後タクシーに乗って、アグダルの貯水池という、昔の王様ムーレイ・イスマイルが灌漑用と遊び用としてつくられたという貯水池を訪問しました。
アグダルの貯水池

貯水池で少年たちが釣っていた魚

そして、すぐその裏にある昔の王様の穀物倉庫にも入ってみました。
外から見るとこんな感じ↓

中から見るとかなり広くって、人間の食糧以外にも家畜の飼料も保管されていたそうです。

その隣には、貯水槽が建てられていて、いくつかある薄暗い部屋の中には水を汲み上げていたと思われる水車のようなものがありました(水車があった部屋は暗くって写真が撮れなかった)。


その後は、徒歩で旧市街の方まで歩いて行きました。
途中、ムーレイ・イスマイル廟という、17世紀にメクネスに都を置いた王様のお墓があるところにも立ち寄ってみました。普通、イスラム教のお墓には非イスラム教徒は入れませんが、ここには入れるようになっています。
ムーレイ・イスマイル廟の入り口

中に入ってみると、装飾やタイルが本当に綺麗で、ここは一見の価値があります!





そして旧市街の中を歩いて、たまたま立ち寄ったお土産屋さんでモロッコらしい幾何学模様のマグネットを買おうとしたら、日頃観光客ばっかり相手に物を売っていたお土産やのおやじは、多少アラビア語が話せる私に驚いたようで、「君たちはモロッコ人のために働いているから」と言って、ポストカードをサービスでくました。こういう現地人とのコミュニケーションが結構楽しい。前にマラケシュ行ったときも、多少のアラビア語が喋れると安くしてくれたし、さらにベルベル人商人には片言のベルベル語でさえもウケるから更に安くしてくれたりと、現地語がちょっとでも喋れるだけで商人の態度が一気に変わるのです♪

そして、お土産屋を出たら有名なマンスール門に到着!


Kさんがよく利用するという、夕焼けとマンスール門がよく見えるというテラス付きのカフェにて一休み。隣の広場にて大道芸人がパフォーマンスを繰り広げる様子や、人の行き来を眺めたりしながら、ゆっくりとお茶を飲んで夕暮れの時間を待ちます。

そして、夕焼けでオレンジ色に照らされたマンスール門を撮影して、

メディナ(旧市街)の中を散策して、フェズ刺繍のお買い物をちょこっとして、広場にあったレストランで夕食を食べて、Kさんのお家へ戻ったのでした。

私はその夜の夜行便バスに乗って、エルラシディアへ。メクネスのバス乗り場で、事前に買ったはずのチケットが紛失!!諦めて新しいチケットを買うかと思って席がまだ残っているかと聞いたら、「もうない」と言われ焦ったけど、「よく探してごらん」と何度もチケット売り場のお兄さんに言われて、財布の中を良く探したら、行きのチケットに重なって、帰りのチケット発見!はあ、良かった〜!

翌朝5時過ぎにはエルラシディアに到着し、すぐに乗り継ぎでワルザザード行きのバスに乗り込み、無事グルミマに到着!

一日だけの滞在であったけど、Kさんのおかげで充実した滞在となりました。
どうもありがとうございました!☆

2014/03/27

聖地ムーレイ・イドリスとヴォルビリス遺跡 / The holy town of Moulay Idriss and Volubilis

前回のブログ記事に書いた、ラバトのJICA事務所における活動中間報告後に、他の村落開発普及員が活動しているムーレイ・イドリスという町に行ってきました!

ムーレイ・イドリスとは、モロッコ初のイスラム王朝、イドリス朝の創始者イドリス一世が開いた町。今では聖地としてモロッコ各地から多くの信者が礼拝にくる町です。そんな歴史ある町に住み、郊外の集落にて活動する村落隊員のAICHAを訪問させてもらいました。

ラバトからメクネスを経由して、タクシーでムーレイ・イドリスへ。日頃、内陸の砂漠地帯に住み、茶褐色の岩山や砂漠の風景に囲まれて暮らす私にとって、まずメクネスやムーレイ周辺の風景の第一印象は、緑が多い!まるで、私が昔住んでいたイギリスの田園丘陵地帯みたい!

同じモロッコでも、国内でこれだけ景色が違うのだから、本当にモロッコの自然の多様性には驚かされます。

ムーレイ・イドリスに着いたら、まずはAICHAの家へ。とはいっても、山の上に立つムーレイの町は坂ばっかり!重いスーツケースを持った私は、AICHAの家に着いた頃は汗だく・・・。

そして、すぐにAICHAの活動する集落へ、タクシーを使って移動することに。タクシーに乗ってさらなる丘陵地帯をくねくね曲がって山の上の方に登って行き、着いたのは彼女が活動するアソシエーションの手芸グループのリーダーの女性の家。女性の家族と2匹の可愛いワンちゃんが温かく迎えてくれました☆

ここのアソシエーションでは、伝統的なフェズ刺繍商品を作っていて、毎回ラバトのJICA事務所でも多くのJICA関係者が商品を買ったり特注したりしています。私もここの商品はとても可愛くってとても好きです。
フェズ刺繍をあしらったスカーフ
お昼ご飯を頂いたあとは、女性たちが家で商品を作っている様子を見学させてもらったり、AICHAがJICA事務所の販売会で売れた商品の報告を女性リーダーにして、一緒に帳簿を付ける姿を見させてもらったりして、自分の活動にも参考になる部分がたくさんありました。

そして夕暮れ時に村を散歩しに行ったら、ちょうど丘陵地帯が夕日でオレンジ色に染まって行く様子が見えて素敵でした。


女性リーダーには、「うちへ泊まって行きなさい」と言われましたが、翌日は朝からムーレイの郊外にあるヴォルビリスという世界遺産の遺跡に行くことになっていたので、お泊まりは断って、村を後にしました。

AICHAの家に帰って来てからは、疲れてほとんど何もせずに爆睡・・・。

そしてムーレイ滞在2日目には、モロッコ南部アガディールの近くのインズガーンという町にて活動している体育隊員と、日体大とJICAの連携で一ヶ月間だけモロッコにボランティアに来ていた3人の学生さんたちが、ムーレイに来ました。そしてモハメディアで日本語講師をやっている隊員の教え子のモロッコ人男性も加わって、彼らと一緒に、ムーレイの町と世界遺産ヴォルビリス遺跡を見に行くことに。

でも、その前にムーレイではスーク(青空市場)がある日だったので、みんなで買い出しも兼ねてスークに行ってみました。スークのある広場では野菜や果物などが売られていたり、道端には多くの出店がでて日用品が売られていました。
スークでは多くの人で賑わっていた

美味しそうなイチゴちゃん

オレンジ屋のおやじ。笑顔が可愛かった。

そしてその後は、念願のムーレイの町散策!
でも、まずはAICHAの案内に従って、彼女の家の裏にある急な坂を下ってみることに。なんだか川の流れるような音がするなと思っていたら、なんと緑に覆われた谷の間には、せせらぎが流れているではないですか!
まるでアルプスのよう・・・

そしてその先を見ると、なんと天然のプールのようなところが・・・!
中で男の子たちが楽しそうに泳いでいる・・・。

水はあんまり綺麗ではなさそうだったけど、日差しが強くって少し初夏のような陽気だったためか、一緒にいた日体大の学生たちも、モロッコ人の男の子たちと一緒に泳ぐことに!

そして、引き続きムーレイ散策。アルプスの山々のような風景の中続く道を通って、途中でロバに乗る男の子たちに出くわしたりして・・・


そして、第一写真スポットに到着!ムーレイの町全体が見えます!

そして、また散策を続けます。

正直、日差しが強くって、登り坂が多くって、息が切れまくってましたが、グランドテラスと呼ばれる、ムーレイの町が一望できるところまでやっと到着!!

青春〜って感じの一枚

切れた息を取り直して、再び町の下の方まで下りて、お次は世界遺産のローマ遺跡、ヴォルビリスへ!

なんでモロッコにローマ帝国の遺跡があるの?って思うかもしれませんが、ローマ帝国は当時ヨーロッパだけでなくて、チュニジアやモロッコなど北アフリカにも勢力を及ぼしていたために、モロッコにもローマ時代の遺跡があるのです。
ヨーロッパでよく見るような支柱がここにもあった


ヴォルビリスの遺跡はムーレイの町からタクシーで10分程乗ったところにある、緑の豊かな田園丘陵地帯にありました。あたりは緑の丘が広がるばかりで、本当に砂漠地帯から来た人間からは別の国にしか見えません・・・。


AICHAはここの遺跡に何度も来たことがあるので、現地ガイド並み(あるいはそれ以上)にこの遺跡のことを知っていて、色々面白い情報を交えながら案内してくれました〜☆





しかし、以前ピースボートで働いていた時代に、ヨーロッパやトルコでのツアーでローマ帝国の遺跡を多数見て来たけど、ここモロッコでも同じような遺跡があるのを見ると、本当にローマ帝国は一つの大きな帝国だったんだなー、と実感。。。


遺跡内はたっぷり見学させてもらって、結局2時間くらいはいたと思います。AICHAの説明のおかげで、すごく勉強になる見学となりました!

日頃砂漠方面ではあまり見ないお花たちもたくさんあって、ここでは写真を撮るのも楽しかったです。




そして、暗くなる頃に私はムーレイを出発して、次の目的地のメクネスに移動したのでした。2日間お世話になったAICHAには感謝!おかげで本当に楽しく充実した滞在ができましたー!♥

2014/03/26

モロッコに赴任して1年が経ちました! / It's been a year since I came to Morocco!

本日3月26日にて、モロッコに赴任してちょうど一年が経ちます。
時間が経つのは早いもので、ちょうど私たち平成24年度4次隊の一年後の、平成25年度4次隊の皆さんが、昨日モロッコに無事到着したようです。

さて、赴任から一年が経つと全ての隊員は活動の中間報告というのを行わなければいけません。国によってどこでやるかは違うようですが、モロッコの場合は、
①配属先省庁 ②JICA事務所 
の2カ所にて報告を行わないといけません。

ということで、先日3月7日に①配属先省庁にて中間報告を終えました。
私の配属先は国家教育省エルラシディア支局というところです。
JICA事務所から調整員の方やナショナルスタッフ(モロッコ人の調整員)や、エルラシディア県内にて活動するボランティア数名、そして私の活動する2つのアソシエーションの役員が一人ずつ来てくれました。

当日は、アウフースという私とは別の任地で村落開発普及員として2年間の活動を終えた先輩隊員の最終報告があって、その後が私の中間報告でした。

配属先ではフランス語かアラビア語で発表を行う必要があるので、以前フランス語の先生だったモロッコ人に手伝ってもらって作ったフランス語の原稿とパワポを用意。本当は暗記して堂々と発表したかったけど、そんな余裕はなく、原稿をほぼ読み上げる感じで(汗)、無事に15分のプレゼンテーション終了!質疑応答では、今後の商品の販路拡大についてどんなアイディアを持っているのかなどを聞かれました。
配属先での報告

なんとこの日の報告会には地元の新聞記者も来ていたようで、後日アラビア語の新聞(ネット版)にも記事が載っていました!


そして、②JICA事務所での報告会。こちらは、先日3月19日に首都ラバトの事務所にて行ってきました。事務所での報告会は、主にJICA関係者(職員、隊員を含む)や日本大使館の方々に向けてなので、言語は日本語で行います。どっちかというと、省庁で行ったフランス語での報告よりも、こっちの事務所での方が緊張しましたが、こちらも無事終了しました!
事務所での報告

報告会後は毎回恒例の、物作り隊員によるアソシエーションの商品の販売会。私ともう一人の村落隊員が持って来た、活動先のアソシエーションの商品を販売させて頂きました。
私が赴任してから、今回が私にとって3回目となる販売会では、以前にないほどの商品を持って来て、そして以前にないほどの商品が売れたので、嬉しい限りです!今回は自分の活動報告直後の販売会だったので、余計皆さんが商品に関心を持って下さったのかもしれません。なんと、JICAモロッコ事務所の所長にも商品をたくさん買って頂きました!買って頂いた皆さん、どうもありがとうございました!
販売会の様子はこんな感じ

そして、夜は2年間の活動を無事に終えた平成23年度4次隊の送別会。ちょうど私たちの一年前に赴任した先輩隊員たちです。毎回、感動的なビデオやパフォーマンス、スピーチなどがあって、それぞれの隊員が2年間過ごしたモロッコ生活がどんなものだったのか、少しながら垣間みることができる気がします。帰国する隊員たちはよく涙ながらに自分のモロッコ生活を振り返っては挨拶をしますが、私も1年後には涙ながらにスピーチしてるのかしら〜?なんてと思うと不思議でしょうがないです。
23年度4次隊の皆さん、2年間お疲れさまでした!

ちなみに、送別者へのプレゼントとして、今回は私が活動するアソシエーションの商品が帰国する皆さんに渡されました。
前はこんな感じ

後ろにはベルベル語でそれぞれ送別者の名前が刺繍されてます!

モロッコ国旗のポーチ

ここ一年間は私にとってあっという間に過ぎて行き、もうあと1年しかモロッコ生活がないのかと思うと、正直寂しい気持ちです。でも、あと1年しかない分、悔いのないように毎日精一杯暮らして行きたいと思います!

2014/03/12

東日本大震災から3年目に考えること / 3 years on since the Great Eastern Japan Earthquake

今日で東日本大震災から3年が経ちますね。
震災後の混乱の中、被害から二週間後に被災地入りして見た宮城県石巻市の様子は今でも忘れられません。
2011年3月27日頃、宮城県石巻市にて
Around March 27, 2011 @ Ishinomaki City, Miyagi Prefecture
破壊された住宅街の中で、1人ギターを奏でる男性。
彼の背には地震と津波によって破壊された家があった。
A man playing the guitar in a destroyed residential area. 
What lies behind his back was his home, 
wrecked by the ear quake and tsunami.

あれから3年が経った今でも、放射能の恐怖で故郷に帰れないでいる方々がいたり、今でも家族がバラバラになったまま暮らす方々、土地が汚染されたことによって農業を続けられなくなった農家の方々など、原発事故の影響は多くの人に今でも被害を及ぼしている。
それにも関わらず、最近では原発推進派の候補者が東京都知事に当選したり、現在の政権も命よりも経済が優先的な動きを示しているのが悲しい。
震災から2年目が経った福島県南相馬市で目にした光景
Scene that I encountered at Minamisouma, Fukushima Prefecture, 
2 years on after the disaster

これだけ大きな被害をもたらしている災害が起こったというのに、私たち日本人は何を学んだのだろうか。これだけ苦しんでいる人が既にいるにも関わらず、更なる被害者を増やそうというのだろうか。日本だけでなく、世界にまで。

3.11後、自分たちから日本を変えなくちゃと動き始めた人たちはたくさんいる。だけど、もっともっと大きなうねりにならないと、今の政治の動きはなかなか止められない。私たち一人一人が、これからも行動を起こして行かないと。

そんなことを、地球の反対側にあるモロッコにて考える今日一日です。


3 years have passed since the Great Eastern Japan Earthquake on March 11, 2011.

I can still recall the devastated scenery that I saw at one of the worst affected areas as I participated in volunteer activities 1 week after the disaster.

Even though 3 years have passed, there are still people suffering from the effects of the earthquake and the nuclear accident at Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant (you can read the following article in details, depicting the situations around the contaminated areas).
http://www.aljazeera.com/indepth/features/2014/03/looking-signs-life-near-fukushima-2014346489521261.html

Despite the fact that there are still a lot to be done for the affected areas, it is disappointing to see the recent movements of the pro-nuclear government of Japan, trying to resume nuclear power plants in Japan and even trying to export plants to other countries. What have we learned from this detrimental disaster? Do we have to sacrifice more human lives in the names of "economic growth"?

A lot of individuals started taking actions especially after the disaster of March 11, but I guess not enough to bring a major change yet in Japan. If we continue making efforts, I hope one day we will be able to make a big change away from nuclear power.