2015/07/30

青年海外協力隊を終えて / Thoughts after finishing JOCV

もうすぐ青年海外協力隊の任務を終えて、日本に帰国してから1ヶ月が経つ。
そんな中、私が帰国したことを早速聞きつけて、「モロッコでの活動を報告して欲しい」と声を掛けてくれたのは、前職のNGOピースボート。

ピースボートでは定期的に、東京の事務所にて一般公開の勉強会を行っていて、扱われるテーマは様々。今回私が講師を務めて欲しいと言われた勉強会では、私が過去に乗船したピースボートでの体験が、どのように協力隊でモロッコにいくことにつながったのか、そしてモロッコではどんな活動をしたのかということを話して欲しいということだった。

実は、今回のピースボートでの勉強会が、モロッコから帰国して初めて自分の体験を公の場で話す機会だったので、モロッコや協力隊のことを知らない人に、どうやって自分の経験や思ったことをわかりやすく伝えればいいのか考えるいい機会となった。

勉強会には、過去乗船者やこれから乗船する若者、私の友人、それからどこからか聞きつけたのかわからないけど来てくださった初対面の方、そしてピースボートスタッフなど、合計13人程が来てくれた。講座の後の質疑応答では、いろんな質問が出て、協力隊であったり、現地の状況に関する関心が高いなーということを実感。

勉強会の準備には結構時間をかけたけど、結局自分が満足できるほどには気持ちを伝えきれなかった気がする。そして勉強会を終えて、ピースボートスタッフと話したりして、私は一体協力隊の経験から何を伝えたいんだろうってもう一度考えてみた。

勉強会の質疑応答の時間で、(外国や大都市への出稼ぎの人が地元の集落の家族に仕送りしているという話しの続きで)「村落開発普及員として、村落部での開発に関わった意義は何ですか?」というような質問があった。

私の活動先での経験から言えることは、出稼ぎに行ったり自分の村から外へ行ってお金を稼いだりすることが難しい女性たちでも、自分の住む集落で、自分たちの持つスキルを活用してお金を稼げるようになり、彼女たちの可能性が広がったという点かと思う。

私が一緒に活動していた女性たちは、識字能力がなかったり、まだ小さい子どもがいるため長時間留守できなかったり、そもそも集落の女性が自分の集落以外に出て行ってお金を稼ぐという考えもあまりないような地域だった。でも、彼女たちは手芸(編み物、ベルベル刺繍、裁縫など)のスキルは持っていて、私は自分の活動の一環として、彼女たちのそういったスキルを活用して、現金収入を支援する活動に従事した。

私が来る前は、この地域の女性たちは手工芸品での収入はほとんどなかった。というのも、作っても売れないから(みんな似たような物を作れるので地元で売っても買わない)、自分で使う分以外を作ってもあまり意味がなかったのだ。そのために、趣味程度にとどまっていた。

でも、2年間一緒に活動して、新しい商品の開発や制作、質の改善、会計管理、販路の確保などの補佐をした結果、生産者の女性たちの収入はかなり上がった。稼いだお金は、家計の足しにしたり、貯金して病気になった時に薬を買うお金に当てたり(モロッコで公立の病院に行けば医療費は安価あるいは無料(←あれ、誰か医療隊員の方、教えて!)だが、薬は自己負担で高い)、新しい洋服を調達したりするのに使うという。いつも稼いだお金をリーダーの女性がお給料としてみんなに渡す時は、女性たちも嬉しそうだった。

私のモロッコでの活動最終報告の時の述べたけど、活動の成果として一番大きかったのは、女性たちの収入がいくら上がったかっていうことよりも、それを超えて、女性たちがやる気になったことだった。私がモロッコにいる間にいくら頑張って商品を売ったとしても、生産者である女性たちが頑張ろうという気がなければ、私が帰った後は活動は続かないだろうし、それではあまり意味がない。

具体的な例を挙げると、ある一人の女性が、「私たちの会社を作るわ!」と意気込んで他の女性と話していたことだった。実際に会社を作る・作らないは別の話としても、以前はわりと内気な印象を与えていた彼女が、私の帰国数ヶ月前には生き生きとして大多数の女性メンバーの前で、堂々とそう発言していたのは、すごい嬉しかった。

他にも、小学校までしか通わずに、今でもアラビア語の識字能力がない生産者の女性たち(30代〜40代)が、アラビア文字およびローマ字を学ぶために、最近になって村で行われている識字教育に通い始めたことがあった。「どうして行くようになったの?」と聞いたら、「だって文字が書けるようになったら、Anou(※)で売れた商品を送る時に、宛先の住所を書けるようになるでしょ」と言っていたのだ。
(※モロッコの手工芸品生産者たちが商品をネット販売できるフェアトレードサイト。Anouで販売することになった経緯は、過去の私のブログ記事に詳細あり。)
郵便局で、発送先住所をローマ字で書く女性

また、生産者の女性たちが、PCを使いこなすことができる男性役員たちに、「私たちにPCの使い方を教えて欲しい」と自分たちから言い出し、最近になってパソコン教室をアソシエーションで実施し始めたのだ。これも、上記のAnouというサイトで商品を販売する際に、PCを使う必要があり、上手に使えるようになりたいという気持ちがあったからだ。(ちなみにAnouのコンセプトとしては、識字能力のない生産者でも、サイトを使って商品をアップロードできることであり、実際に生産者が商品をアップする際に使うアカウントには文字は一切なく、すべてが絵のアイコンになっている。)

私の活動の成果は、私の帰国後の生産者の女性たちの動向にかかっているなと思ってきた。もし女性たちが私と一緒に行った手工芸品を通した現金収入創出の活動を、私が帰国したからといって続けていなければ、私の活動は一時的な支援でしかなく、私はコミュニティにおける持続可能な開発にあまり貢献できなかったのだと思う。でも、逆にもし女性たちだけでも自発的に続けているのであれば、もしかするとある程度は彼女たちが続けることができる基盤作りに貢献できたのかなと思う。

嬉しいことに、女性たちは私が帰国した後も自発的に手工芸活動を続けており、定期的にAnouのサイトに商品をアップし続けている。
Association El Wifakのページ

Association Najahのページ

ちなみにAnou以外にも、私が帰国する前に開拓した販路(ホテルや日本のモロッコ雑貨を扱うサイトなど)があるのだが、そちらは今後どうなるか様子を見る必要がある。。。

ちょっと話が長くなったけど、結局村落開発普及員として、村落部コミュニティの開発に関わることができた意義って、こういうことなんじゃないかなと思う。ただ単に村に新しい道路を敷くとか、学校を造るとかだけでなくて、そこに住む人々と一緒に生活をして、彼ら・彼女らの文化とか考え方とかを学んで、そこから見えるやり方を元に、一緒に、何が必要で何をできるか考えて、一緒に取り組んでいく。そして、最終的には彼ら・彼女らだけでも続けていける何かを残せればいい・・・。私はあくまでもこの過程のカタリスト(触発者)であって、主役はコミュニティの人たち。彼ら・彼女らがやる気になって、何かに向かっていく、そして彼ら・彼女らの可能性が広がる・・・。そんなきっかけ作りができたのならばいいな、と思う。
自宅の裏庭でボシャルウィット(ラグ)を作る女性。
これまでにはボシャルウィットを商品化したことはなかったが、
商品化したら、海外にも発送するほどの人気商品となった。
彼女たちが作るボシャルウィットはこちらから購入可能。


質問のもう一つにあったのは、「協力隊で一番大事なのって何ですか?語学ですか?」という質問。私の場合は、フランス語、アラビア語、ベルベル語を学ばないといけないような任地だったこともあって、任期中の言語の習得には苦労したこともあって、今回の勉強会では言語における大変さが強調されてしまったのかもしれない。でも、質問に対する私の答えは、一番大事なのは言語ではないと思う、ということだった。

もちろん言語ができるに越したことはないし、実際に協力隊を受ける場合には、どの国に派遣されようが、TOEICで300点以上(?←今の状況は分からないので、知りたい人はwebにてチェック!)を取得していないといけないという現状もある。でも、派遣前訓練で2ヶ月間言語の勉強はあるし、派遣後も現地語訓練などのサポートはある。

一番大事なのは、途上国という現場でありうる大変さ(環境、人間関係、コミュニケーションなど)にも耐えられる忍耐力と適応力、そしてやる気なんじゃないかなーと思う。言葉はある程度頑張れば成果につながるし、できればそれは活動の一助にもなる。けど、忍耐力や適応力、そして本人のやる気というのは、早々変えられるものでもない。実際に、言語は苦手でTOEICの点数や訓練所時代の語学研修のテストもギリギリだったけど、現地では立派に活動し成果を残し、帰国した今でも今後バリバリ国際協力の道を進みます!っていう隊員だっている。

確かに誰でもできるというわけではないけど、もし興味があるのならば、是非いろんな人に協力隊はチャレンジしてもらったらいいと思う。「え、こんな職種もあるの!?」っていうくらいにいろんなタイプの職種があるし、職種によってはそこまで専門性や職務経験が必要でなかったりするものもある(特に、「コミュニティ開発」や「青少年活動」はそういう要請が多い)。

日本人を見たことがない(あるいは外国人を見たことがない)というコミュニティに入って行って、そこで2年間現地の人と時間をともにして活動するというのは、自分にも、現地の人たちにもインパクトがある。ボランティアは、専門家やコンサルタントほどの専門知識や経験もないけど、ボランティアだからこそできることってたくさんあると思う。何をするかは、人それぞれ。でも、できることって絶対に何かあると思う。

だから、帰国した今、日本の多くの人に協力隊は勧めたいし、いろんな人に協力隊の経験を伝えたいなって思う。
今回の勉強会では、うまく伝えられなかったこともたくさんあったので、今後はもっと改善するよう努力をせねば。。。
ということで、もし機会があればいくらでも自らの協力隊経験語ります!
興味ある方は連絡ください!(→ ブログ右手中央部分に「連絡フォーム」あります、笑。)

2015/07/05

さよなら、モロッコ&ただいま、日本 / Goodbye Morocco & hello again Japan

6月30日にモロッコを出国し、7月1日に無事パリ経由で東京羽田国際空港に到着しました。

今考えれば、長いようで短かった2年3ヶ月間のモロッコでの青年海外協力隊生活。

もともとモロッコに協力隊で(かつ村落開発普及員という職種)で行こうと決意したのは、ピースボートに通訳ボランティアとして乗船してモロッコを初めて訪問した、2009年の秋。偶然にも船で同室だったスペイン語の通訳ボランティアの子は、ボリビアで村落開発普及員として2年間活動して帰国したばかりで、彼女のボリビア生活の写真を見せてくれたり、現地での生活の様子、協力隊への応募などについて、色々教えてくれた。その時に、私もやってみたい!と思ったのを覚えている。その時のピースボートのクルーズでモロッコのカサブランカに寄港した時に、マラケシュ観光ツアーの通訳を担当して、モロッコがすごく気に入ったので、もし協力隊で来れるのであればモロッコを第一希望として応募しようと思ったのだった。

そんなこともあって、2012年春に協力隊を受けた時に一発で第一希望のモロッコの村落開発普及員の要請に合格した時は、ものすごく嬉しかった。派遣前もモロッコに再び行けることが楽しみだったし、派遣中にもモロッコかつグルミマという任地で良かった、と思うことは何度もあった。

帰国後、よく「モロッコ生活で何が一番大変だった?」と聞かれると、大体私が答えるのは「言語」。このブログにも何度か書いたけど、私は派遣前訓練で2ヶ月間フランス語の研修を受け、その後モロッコの首都ラバトでは3週間のアラビア語モロッコ方言(ダリジャ)の研修を受けてから、ベルベル語が話される任地へ配属となった。

現地語がベルベル語であるために、現地人同士の会話はほとんどがベルベル語。私と話すときは、ダリジャあるいは話せる人はフランス語。どの言語も習得しようと努力はして、フランス語は今年5月になんとかDELF(仏語能力試験)のB2(仏語検定の準一級くらいに相当)に合格し、ダリジャ習得も頑張ろうとはしたけど、結局は文法もめちゃくちゃなコミュニケーションレベルでずっと活動する程度に留まった。ベルベル語は結局単語レベルしか身につかず、「どうしてあなたはベルベル語話せないの?」と言われることもあった。悔しくて一人で泣くこともあった。

私が主に活動する同僚はフランス語はできなくて、ダリジャかベルベル語しか話せない女性たちが中心だったために、活動で本当に伝えたいこと(私の想いなど)や説明が難しいこと(会計管理など)を同僚にわかってもらうには苦労したし、ストレスがたまった。活動の最後の方でも自分の言語能力不足に悩まされることもあった。

でも、ベルベル語の話される任地だったからこそ、ベルベル人というモロッコでも一部の地域にしかいない民族の文化に馴染んだり、ベルベル刺繍を生かした手工芸品の開発に携わることができた。そして、田舎の町だったこともあってグルミマの人は本当に優しく、彼ら彼女らの優しさに救われることも何度もあった。だから、大変なこともあったけど、グルミマで2年3ヶ月間活動できて本当に良かったと思う。


このような背景もあって、いよいよモロッコでの生活を終えて日本に帰るということには寂しさもあったけど、とりあえず私がグルミマで出来ることはやったし、これまでに一生懸命活動してきた分、少しは日本でゆっくり休みたいなーという気持ちにもなっていたので、今は日本に無事に到着し、協力隊の生活を終えることが出来てほっとしています。

帰国後研修でJICAのスタッフが言っていたような、帰国後ショック(?)みたいなのも以外になく、わりとフツーに日本の生活にも順応できているような気もするけど、まだ帰国して一週間も経っていないので今はまだ何もかもが楽しい時期なのかな。とりあえずは、しばらく会っていなかった友人や家族とゆっくりしながら、少しずつ就活もしないといけないなーと言ったところです。

協力隊生活は終わりですが、このブログは引き続き時々更新しようかなと思っているので、モロッコにいた時程は面白い記事は書けないかもしれませんが、興味ある方は引き続きよろしくお願いします!